高専生休学記

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高専生休学記(第3回 / 2020.3.28) 休学時の勉強内容変更と明日やること

 寝ると言ったのに寝れませんでした。恐らくベッドに行って目をつぶれば寝られると思う。だけど、なんか怖い。今更ではなく、ずっと感じていてたまっている不安やストレスの量が自分の第一許容ラインを越えたというか。これから自分には無駄なことを友人と話すこともほぼなくなり、いろんな先生の授業を受けることもできなくなり、時間割も同調圧力も全くない。ただ1年後の成果が求められる。同調圧力はよく悪い事として取り上げられるが、それは程度による。当たり前に朝起きて、当たり前にある時間までに登校し、当たり前に長時間の授業を受ける。こんなすごい事ができるのは幼いころからそれを当たり前と教えられ、周りの人間が当たり前にやっていたからだ。これを支えていたのは周囲の存在という誰も意識的に他者に向けていない同調圧力だと僕は思う。体育の授業の時、先生も周りのクラスメイトもいない状態で、授業内容は完全に把握していたとしてもそれを行うのは難しい。数学の授業だって前に先生が立っていて、周りに人が座っている環境だから、自然に受けることができる。周りに誰も座っていないのに、周りに先生も生徒もいなければ、休憩と称して、ツイッターを開いたり、絵を描いたり、アニメを見たり、小説を読んだり、Youtubeを見たり。いくらでもしてしまいそうだ。だけど僕は数日後からその環境で独りで勉強しなければいけない。どうにかしないといけないが、僕の悪癖はそんな簡単にとれはしない。どうしよう。

 

 まぁこんな感じのことが言葉にしなくても何とも言えない息が詰まりそうな不安となって僕の精神に降り続ける。ここで、気持ちをいくら奮い立たせても、この現状が変わらない限り、時間がたてば僕の心は自然と腐ってしまう。そんなときはとにかく癒されろ。癒しの暴力に溺れるんだと「癒し 猫 サイト」とGoogleで画像を検索したが、数時間に一度ツイッターで流れてくる高純度の猫動画に比べるとどうしても見劣りしてしまい、またどうしようかと考える。そうだ。癒される小説を読めばいいんだ。そう思い数話読んだが放置していた癒されそうな小説を読んだ。これは正解だった。完全に復活したわけじゃないが、少しだけ元気になった。

 

 この後、僕が見たい設定の小説を書き始めるなどしたが、小説はそんな簡単に出来上がらないので案の定すぐ力尽き、次の娯楽を求めようとしたときに、昨日読んでいた3月末まで無料公開されているドラゴン桜が読みかけだったのに気づき、読み始めると、丁度、自分の計画の改善点と改善法が書いてあった。それは計画を時間割にするなである。どうしても時間割に縛られたい欲望と、何時間やったらやったことになるという時間による達成感を得たいという欲望が合いまって、これを大体何時間やるかなどと決めてしまっていた。理想てんこ盛りの勉強配分である。自分以外の人間ができたとしても自分は今の時点では無理だ。もしまぐれで一度できたとしても次の日はできなくなるだろう。一度挫折してしまえばその計画は実現不可能なことを今更自覚し、やる気も失せる。じゃあ休憩時間を増やせばいいのではないか。今度は今度で質の低い勉強しかできない。じゃあどうすればいいんだ!時間割を作らなければいいんだ。ただ、時間割を作らなければそれだけでいいというわけではない。その教科ごとにノルマを課せばいいのだ。これはここを理解したら終わろう。これはこの問題6個解けるようになったら終わろう。英単語50個頭に入れよう。そんなノルマを毎日、それごとの勉強をする前に課す。そのノルマが達成できれば、早くても勉強を終えていい。クリアすることに専念し、時間はそのあとついてくる。こうすれば同じことをするにしても果てまで見る必要はないし気が幾分か楽になるだろう。そして1週間の目標など中期的な目標も毎日立てる目標と同様必ず具体的にする。数を示す。曖昧な目標は達成の実感もなく、水増しも可能になってしまう。それではいけないんだ。

 

 だが、毎日のノルマをいきなり立てられはしない。自分の実力を自分が客観的に理解できていないとだめだ。少なくとも今日は片付けするとしても明日は手始めに英語と熱力学と数学に全部でなくていいので手を付けて自分がどれくらいできるか確認することにしよう。以上のことから一度教科はそのままにするにしても、どれを何時間するとかはひとまず撤廃することにする。効率悪くてしんどいのはごめんだ。